あと63年
ディスカバリーチャンネルでランボルギーニ社の特集やってるのを見て思い出した。
最近の車種は全く知りませんが、オイラ、カウンタックに乗った事があります。
↑はLP500ですがオイラが乗ったのはLP400の500仕様でした…と言っても、たぶんRウイングが追加されたくらいしか知りませんが…。
オイラの1個上の先輩が、元々お金持ちの息子さんだったんですが、自分で宅配ピザ屋さんをやって儲けて買ったと言ってました。
当時、店舗が山手通り沿いの中目黒の青葉台…今のドンキやスタバがあるところの近くと白金一丁目の恵比寿からR1へ出るところに店舗がありました。
よく店舗の前に停めていたので、見た事ある人もいるかもね。
店舗の名前はUNOピザでしたね。
外国人からのオーダーが結構ありました。
まあ、その1個上の先輩が破天荒な先輩で16歳になったらアメリカで車の免許を取って来て、日本のオイラ達はオートバイに乗ってた頃、先輩は堂々と4輪に乗って遊んでました。
オートバイだって、オイラ達が首都高を走ってた頃、TZに懐中電灯くっつけて走ってましたからね、今考えるとホントにアホですよね。
そんな先輩が乗っていたのがカウンタック。
まあ、カウンタックと言えばコレですよね。
当時、車に興味無い人達だってこんな車がいると注目していました。
ナンパなんてしなくたって、女の子の方から寄ってきますからね。
そんな先輩から夜中にTELがあって「とりあえずプラグ12本買って来てくれ」…と。
品番言われて、夜やってるスタンドでかき集めて買って行きましたよ、夜中に。
とは言えね、1本1000円の安いプラグとしたって12本だと12000円もするんですよ。
エンジンのOHやってたんですが、プラグが無いからとりあえず使えるヤツ買ってこい…と。
その頃住んでた代々木から、当時乗ってたVガンマで中央道飛ばして瑞穂まで行きましたよ、夜中に。
OHやってたショップもゼロヨンやってた頃の知ってる先輩で、当時の少年ヤクザ(まあ半分本物)みたいな先輩でした。
V12のエンジンがバラバラだったんだけど、超面倒臭いとか言っていました。
375馬力で1065キロの車重だったらかなり速いはずですけどね、本当だったら。
でも、オイラ当時は速い車が好きで、自分が乗ってたSAの7の方がカウンタックより速かったのでカウンタックは子供の頃の憧れ…と言う感じでした。
で、オイラも車を降りる頃32のGTRが登場して、ほぼノーマルの32Rにあっさり負けたカウンタックを見てスーパーカーへの憧れは終わった感じですかね。
そして、32Rの登場でチューンドマシンへのパッションも無くなり車はやめました。
そこからはずっとオートバイだったんですが、30歳からはさらにオフロードへとなっていまだに続いています。
まあ、昔ほどのパッションは無いけど、その分楽しく乗れてるなあと思います。
車にしても、オートバイにしても速さを求めてた頃の事考えると、生きてて良かった…と実感します。
いつも言ってる狂気の時代を生き延びて来れたので、ずっと長生きできそうです。
オイラの目標は125歳まで生きる事…今、やっと半分くらいです。
まだまだ楽しめそうです、この人生。