2スト125・250&TOKYO ENDURO CLUB

ブログ統合でオフロードメインですが、モトGPや4ストミニ等、自分の好きな事を書いて行きます。

懐かしい曲   Journey - Separate Ways

今日は仕事中に何度もジャーニーの曲が掛かってた。
ハハ~ン…って事は、来日でもするんだな…と思っていたらヤッパそうだった。
オイラの中でジャーニーと言えばこの曲

Journey - Separate Ways (Worlds Apart) (Official HD Video - 1983)
二十歳の頃、ディスコでこの曲のイントロが掛かるとみんな飛び出してきたなあ。
ディスコソングではなかったけど、よく掛かってたねえ。
オイラが学校辞める前だな、この頃…まだ学生でした。
で、もちろん彼女もいたんだけどその彼女が驚くほどヤバい彼女だった。
その正体を知ったのは別れて5年くらい経ってからだったけど、なるほどね…と納得させられた。
出会いは逗子海岸でのナンパ、彼女は一人で来ててオイラ達は3人、オイラはあんまり乗り気じゃなく、他の2人と違って積極的じゃなかったんだけど、それが逆に彼女的には気になった…と。
その頃オイラ達は大学の寮に住んでたんだけど、門限後抜け出して近所のサテンに待たせてた彼女と合流、そこから先はなんとオイラ指名で夜の街へ。
とりあえず歌舞伎町のディスコ行ってその後はお決まりのね。
その時のディスコでこれが掛かってたって訳。
で、その彼女の正体はと言うと、某団体の総帥の娘さんでした。
総帥さんの子供は娘二人でその長女さんでした。
分かれて5年後の頃、歌舞伎町で働いていたオイラがその筋の雑誌を見てたら、その総帥さんの記事が載ってて読んでいたら、えっ?…マジで?となったんです。
まず名字が同じで住まいも同じ地区、誕生月も彼女と一緒で、何より「日本一の名前」を付けた…と。
彼女の名前は文字通りの名前で、付けられた由来、その事は彼女からも聞いていた。
いや、マジで驚きましたよ、当時は携帯も無く家電で何度も親父さんやお袋さんと話していたから。
その彼女とは夏休みに一緒に長崎まで行ったんだよね。
この時もきつかった。
この頃、オイラのマイカーは長崎に置いていて、学生だったオイラ、先に夏休みになってオイラが飛行機で帰省、そして彼女の夏休みに合わせてオイラが長崎からマイカーでお迎え、そして一緒に帰省して長崎で夏休みを過ごして仕事が始まる彼女を東京まで送ってそしてオイラはまた長崎までマイカーで帰ると言う超ハードスケジュールだった。
10日足らずの間に2往復したんですね。
結構仲良かったんですけどねえ。
で、別れて2年後に一度再開した事がありました。
なんか、夏になるとオイラを思い出す…と言う事で連絡があったんですよね、一度だけ。
その一度で会う事は無くなりましたが、なんか意味深な事を言っていたのを後日の雑誌を見て、なるほどね…と納得しましたね。
元々結婚相手は決まっていたみたいで…。
もしオイラと結婚していたらオイラがその某団体の総帥になっていたかもしれませんね。


しかし、ジャーニーももうみんな70歳オーバーでしょ?
スティーブ・ペリーもいないようだし、どうなんですかね?
ホントオイラは当時のフィルムコンサートで良いと思うんですけどねえ。
口パクでも良いじゃないですか、その方が当時を懐かしめると思うけど…。

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